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「防衛テックの倫理」をめぐる倫理

Essay ・ 2026年7月5日

先日、De-Siloが開催した「〈防衛テック〉の倫理」というイベントに参加してきた。話された内容の大枠は、同じくDe-Siloが制作しているPodacst「2020s」の「〈防衛テック〉の倫理とナラティブ」回で紹介されている内容から始まり、登壇者それぞれの専門から防衛テックについて語られていくという形で進行した。

とても刺激的で、防衛テック業界に身を置く一人として、とても考えさせられることが多かった一方、テーマの複雑さ、大きさ、そして新しさもあってか、雑駁な印象も拭えなかった。そこで今回は思考のメモとして、2026年の7月に考えていることの記録として、「防衛テック」(以降、DefTechと表記)について自分なりにまとめてみたい。

そして、結論を先取りすれば、DefTechの倫理とは、倫理的野心の実践型の1つであり、倫理的野心の根拠には、効果的利他主義があると考えている。より簡単に言えば、DefTechとその関連領域におけるR\&Dには利他性が必要であり、その利他性を最大化し、推進するアクターに求められるのが倫理的野心である、ということだ。

DefTech倫理

DefTech倫理において最も重要な原則は、テクノロジーの利他性である。防衛とは本質的に利他的な行為だ。誰かを守るという行為は、必然的に内集団の保護と外集団との境界線を決定づける営みであり、その境界の引き方こそが防衛という概念の核にある。

そうであるならば、防衛の(ための)テクノロジーであるDefTechも、利他的なテクノロジーである必要がある。ここで言う利他性とは、単に「誰かのために使われる」という消極的な意味ではなく、そのテクノロジーが誰を、何を、なぜ守るのかという設計思想そのものに埋め込まれているべきものだ。

したがって、DefTech倫理の根本命題は「それ(テクノロジー)は利他的か」であり、特定の集団や個人を利するものであってはならない。ここには、ある種の公共性の地平が見えているように思う。DefTechが特定の国家、特定の企業、特定の政治的意図のためだけの道具になった瞬間、それは防衛から逸脱し、単なる攻撃や支配の手段に変質してしまう。この一線をどこに引くかという問いこそが、DefTech倫理の出発点になる。

効果的利他主義としてのDefTech

DefTechが利他的なテクノロジーであるとすれば、その利他性を限りなく拡張することで「平和のためのテクノロジー」としてのDefTechという文脈が見えてくるのではないだろうか。

そこで参照したいのが効果的利他主義(EA)だ。EAは名前の通り、利他的な行為のインパクトの最大化を目指す思想として理解することができる。利他的なテクノロジーであるDefTechにおけるインパクトを極限まで最大化(extremely maximized)すれば、それは究極のリヴァイアサンとしてのDefTechになると考えられる。

そう考えると、DefTechが世界規模で主権侵害を抑制する装置として機能するのではないだろうか。DefTechはもはや一国のものではなく、国際的なガバナンス機構のもとで用いられるというシナリオは考えられないだろうか。

つまり、DefTechという巨大権力のもとに、世界は一つの共和国、世界共和国を実現するのではないだろうか。個別の国家が個別の利害のためにDefTechを保有し、行使する現状から、利他性を極限まで拡張したDefTechが単一のガバナンス構造のもとに統合される未来へ。それは飛躍のある仮説かもしれないが、DefTechの倫理を利他主義の論理で貫徹させたとき、行き着く先の一つの姿だと思う。

「DefTechの人」に求められる倫理的野心

では、そんな未来のために、DefTechの人には何が求められるのだろうか。僕はそれこそが倫理的野心であると考えている。

倫理的野心についてはこのブログで何回か紹介しているので詳細は省くが、利他的なテクノロジーとしてのDefTech、平和のためのテクノロジーとしてのDefTechという「倫理」がインストールされているエリートこそ、「DefTechの人」になるべきである。

世界的にDefTech(時にそれは防衛ではなく、明らかに他国の主権侵害に用いられている)にマネーが集まっている。お金の集まるところに人は集まるし、人が集まる業界には熾烈な二つの競争、人材獲得と就職が存在する。競争的な業界にこそ「持ち札」を持っている人間は進む努力をすべきだし、そうしてポジションを得たら、「倫理」を発揮してDefTech業界に秩序をもたらすべきなのである。

だからこそ、自分を含む、戦争を今すぐに止めたいと思っている左派こそ、進んでこうした業界で倫理の整備を進めるべきだ。そしてそれこそが、倫理的野心の発露であり、平和な世界のために今できることの1つなのだと考える。